やぎさわ便り八木沢里志 公式サイト

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2025.02.09 Sun.

退屈すれば脳はひらめく

最近は小説以外では脳の仕組みについての本にはまっていて、よく読んでいます。

ちょっと前、『退屈すれば脳はひらめく』(マヌーシュ・ゾモロディ著、NHK出版)という本を読みました。これはスマホが当たり前になった現代でスマホを手放して、退屈な時間を過ごすことがいかに大事かと語った本。

脳は退屈している時、デフォルトモード・ネットワークという状態になるのだけど、この時に脳は情報の処理を行ったり記憶の定着をするのだそう。

同時に、そうして脳があちこちに思考をさまようことで、アイディアをひらめくのだという。そのため、デフォルトモード・ネットワークは「ひらめき脳」とも呼ばられることがあるそうです。お風呂に入っていたり散歩していたりカフェでぼんやりしている時に、アイディアがパッとひらめくのは、脳が退屈してこのモードに入っているから。

ところが、スマホが普及してから人間はこの退屈という時間を持てなくなってしまった。持てなくなったどころか、それが苦痛にさえなってしまった。なぜなら、隙間時間があったらその時間にスマホを見ればいいから。スマホが人間を依存させるためにありとあらゆる計算をされて作られているのは、よくいろんなところで報道されている通り。

なので、創造性を得てクリエイティブに生きるためにも、スマホを見る頻度を減らそう、かつて当たり前にあった退屈な時間を取り戻そう、と呼びかけているのがこの本。大変興味深かったです。

僕個人は、割と退屈するのが得意な方だと思います。子供の頃はそうして退屈な時にあれこれ空想して、1人で物語を作るのが好きでした。そもそもスマホやネットをそこまで使用しない方だと思うし。

それでも、スマホやネットが当たり前になってから、確実に前よりも退屈する時間は減りました。スマホやネットがあまりに便利すぎて、ぼーっとしていても、「あ、あれってどうだっけ」とつい調べ物をしてしまったり、「あれ買っておかないと!」とネットショッピングしたりすることが増えました。

前からこの癖が自分の創作活動にあまりよい影響を与えていないなとなんとなく思っていたのだけど、この本を読んでいろいろ腑に落ちました。そうか、もっと退屈した方がいいんだな、と。

そう、この本を読んで思ったのは、もはや退屈することって自分で意識的にしていかないと、なかなかできないことになりつつあるんですよね。世の中は便利になったけれど、退屈してアイディアが生まれる時間を奪ってしまったわけで、それはものづくりをする人間として、やはり大問題です。

というわけで、今後はもっともっと退屈していこうと思った次第です。今の世の中って、退屈しているのが悪いという風潮が蔓延していて、ちょっとぼんやりしていると笑われたり、奇妙に思われたりしちゃうことがありますね。

でも、本来人間に必要な時間なんですよ。というわけで、誰がなんと言おうとそんなのは気にせず、強い意志でもっと退屈していこうではないですか!

2025.02.07 Fri.

猫たちの関係

今日はうちの猫たちの関係性について、ちょっと書きます。(現在、うちにはジウとトト2匹がいます)

というのも、この日記の写真群を改めて見てもわかるのですが、猫たちの単体の写真はあるのだけど、2匹で写っているものがないのです……。

なぜかといえば、つまりあんまり仲がよくないのです。いや、別に険悪という感じではないのだけど、よく他の猫飼いのお宅で見るような「一緒にくっついてお昼寝」みたいなほんわかシーンはまあまず見かけません。

猫同士でコミュニケーションを取ることはなくもないのだけど、だいたいジウがしつこく追い回してトトが「シャー!」と怒って終わるという……。もっともこれもプロレスみたいな感じで、両者とも本気ではなさそうですが。いずれにせよ、珍しく2匹で毛繕いし合ってるなあ、なんて思っていると、すぐに戦闘がはじまって、おジャンになる感じです。

この原因は先にも書いたように、ほとんどがジウのせいな気がします。ジウはけっこうオラオラ系なので、トトが人間(僕か妻)に甘えて膝にのっていたりすると、のしのしやってきて「オラ、そこどけ!」と感じに足を噛んで追い払うんです。

一応ジウの方がお兄ちゃんなのだけど、いや、お兄ちゃんだからこその横暴なのか、とにかくトトが人間に甘えているのが気に入らないご様子。そういうわけでそんな横暴をされてトトもお兄ちゃんを慕うはずもなく、いつも一定の距離のある2匹なのでした。

先住猫で天国に行ったにゃあ太ちゃんも人間は大好きなのだけど、あまり猫が好きじゃない性格でした。なので、我が家では猫同士で一緒に丸まって寝ている、という光景を見たことがほとんどありません。よその家の猫の写真を見ては、「ああ、うらやましい」としょっちゅう思っています。

いつか、2匹がもっと打ち解けてくれるといいなあ、とひそかに願っているのでした。ああ、仲良し猫がいる家が本当にうらやましい!

2025.02.06 Thu.

どこにでも人間関係あり

最近、ジウの食欲がすごくて、なんだか一日中何かを欲しがっている気がします。

今日もウェットもカリカリももりもり食べて、チャオチュールも3本食べました。食欲がないよりはあった方が断然いいのだけど、ジウも11歳。健康にも気を遣っていかなければいけない年だし、おねだりされたからと言って、控えた方がいいのかなあとも思います。

でも、ジウの要求の仕方ってすごいしつこいんですよね。こちらが書斎で仕事していても、自分の望みが叶うまでずっとそばでミャウミャウ鳴くのです。可哀想になってくるし、何より仕事に集中できないので根負けしてあげてしまうのです。人間が寝ている時に要求する際は、鼻を噛んでくる子だし、けっこうそのあたり容赦ないです。

まあ、そんなジウの要求をかいくぐりながら、今日もジムへ。

ジムのような人何集まる場所では、やはり人間関係って生まれます。特に僕が行っている平日午後は年配の方が多いので、仕事を引退した方々の社交の場になっている感があります。

で、毎日のように通っていると特に知りたいわけでもないけれど、なんとなく「あ、あの人とこの人は長い付き合いなんだな」とか、「このおばさんはみんなのマドンナ的存在なんだな」となんとなく見えてくるんですよね。

そして、やはり人が集まれば、争いも起きるもの。気の合わない同士もいれば、いつの間にか仲違いして目も合わせなくなっているなんてこともあるわけで……。

今日もランニングマシンで走っている間、眼前のウェイトコーナーではあまり気の合わない年配男性2人がバチバチに火花を散らし、その間にスタッフの若い女性が板挟みになっていました。元は仲良かったはずの2人なのに、一体何があったというのでしょうか。

僕はたぶん人より、そういう微妙な人間関係とかに気付きやすいタイプのようです。なんというか、人間関係がぱっと見えてしまうという変な特技があるというか。まあ、それで得することといえば、小説を書けるくらいでしょうか。

ともあれ、自分は全然話もしないのに、なぜか気疲れするというよくわからないジムの時間を過ごしています(笑)。みんな、もうちょっと仲良くしようよ!ほんとに頼むから。

2025.02.05 Wed.

韓国版『純喫茶トルンカ』

今日は日差しは強かったけれど、風は冷たかったです。久しぶりに長い散歩に出たくなったので、そんな冷たい風の中、10キロほど歩いてきました。

歩いているうちに体があたたかくなってきて、肌に吹きつけてくる風も、だんだん気持ちよくなってくるからいいですね。散歩中に、飼い主さんとボール投げで遊んでいるフレンチブルドッグの子を見かけたのですが、もうそれはそれは楽しそうで、心和みました。

全身から「幸せ!楽しい!」って気持ちが溢れていて、飼い主さんもさぞ可愛いだろうなあと思い、歩きながらニヤニヤしてしまいました。通行人に見られたら、通報されそうな事案ですね。危ない危ない。

話しは変わって、韓国版の『純喫茶トルンカ』の献本をいただいたので、写真のせておきます。

海外のいろんな国から翻訳本を出していただいるのですが、カバーはその国のお国柄だったりトレンドなんかが窺えて楽しいです。

このカバーはいかにも韓国という感じがします。(自分だけかな?)ポップで可愛い感じですね。韓国でもレトロ喫茶の魅力ってわかるのでしょうか。後ろのカバーにも登場人物たちが描かれているのがいいです。コーヒーを淹れている立花マスターはもちろん、地味に紙エプロンでバレリーナを折っている千夏さんがいますね。

『トルンカ』もありがたいことに多数の国で翻訳されることが決まっているのですが、たとえば英語圏に「純喫茶」という存在も、それにあたる単語もないのだとそうです。

なので、「純喫茶」は普通に「カフェ」という単語で表現されるとのこと。「カフェ・トルンカ」でもお店の雰囲気が伝わると良いなあと願っております。そちらの刊行も今から楽しみです。

2025.02.03 Mon.

ベタベタな日々

旅行から帰ってきてから、ジウもトトもやたらと甘えてきて、今日もずっとベタベタでした。

帰宅した時は、「へえ、帰ってきたの、あらそう」って感じで、ツーンとしてたけど内心さみしかったようです。

とにかく後ろを追いかけてきては、「ちゃんといるだろうな?」って感じで確認してくるし、ちょっとソファに座れば膝に飛び乗ってゴロゴロ言い出すし。いやはや、いいもんですね。飼い主としては、最高に幸せです。

ジウにいたっては、夜は一緒の枕で昨日も寝ていました。枕の取り合いになるので首が痛いのだけど、ジウのあたたかさや存在を感じながら寝られるのって、すごく幸せです。

ちなみに「一緒の枕で寝る」とは、僕が枕の端っこの方に頭をのせて、ジウが枕の真ん中に丸まって寝ている状況です。こう書くと、もうほとんど一緒じゃないですか。「枕を奪われている」というのが正しい気がする。

ところで写真は、旅先でちょっと味わいのある建物があったので、撮ったもの。

この建物、『純喫茶トルンカ』のお店の外観イメージにかなり近いなあと思ったんです。もう閉店しまったようですが、実際何か飲食店をやっていたらしい。

三角屋根のチョコレート色の建物。正面から見るとわかりづらいけれど、けっこう奥行きのある二階建ての建物で、二階は住居になっているようです。その感じもまた僕のイメージしている『トルンカ』なのです。

『トルンカ』は今年コミカライズされる予定で、去年の暮れくらいに作画の方の参考になるよう設定資料を作って送ったのですが、もう少し早ければこの写真を送ることもできたのになあ、とちょっと残念。また別の機会があったら、資料として使用させてもらおうかと思います。

旅先を歩いていると、こういう思わぬ出会いなどがあって楽しいものです。また近いうちに、小旅行でも行きたいなあと思った次第でした。

2025.02.01 Sat.

鬼怒川温泉

昨日、今日と急遽、鬼怒川温泉に妻と旅行に行ってきました。

なぜ急遽なのかといえば、一昨年にふるさと納税の返礼品として購入した星のリゾートの宿泊券の期限が、今月2月までと判明したから。

僕も妻も出不精なので、なかなか旅行に行こうと言い出さず、先日気づいて「これはまずい!」ということになったのでした。さすがに結構高かったので、この宿泊券を無駄にする勇気はありませんでした……。

というわけで重い腰を上げて行った鬼怒川温泉。昨日今日と旅館に着いたあとは大して何もせず、温泉ざんまいで過ごしました。

昨日の午後からは晴天なのに雪がちらつき始め、露天風呂に入っているととても風流でした。湯船からはもうもうと湯気が立ち込め、木々は風に静かに揺れ、澄んだ青い空を雲がゆっくりと横切っていく。遠くからは、ぴろろろろとトンビが鳴く声が聞こえ、そして白い雪がときおりひらりと舞い落ちてくる……。

こういう情緒を楽しめるのって、日本だからなのでしょうね。日本人でよかったなあとあたたかい温泉に浸かりながらしみじみ思いました。

宿の部屋に戻ってからも、湯冷ましついでにバルコニーに出て、あたたかいコーヒーを飲んだり。温泉街を帰りにぶらぶら散歩するのも楽しかったです。こういうこと言うと失礼かもしれないけれど、温泉街ってどことなくさみしい感じがあって、自分のような内向的な人間にはすごくしっくりくるのです。

そしていつも旅先では、よさそうな喫茶店を探して入るようにしているのだけど、今回は目をつけていたお店が昨日今日とたまたま連続でお休みという不運。まあ、僕は自他共に認める間の悪い人間なので、このくらいは既定路線、あたりの散策を楽しみました。

でも一泊もすると、猫成分がたりなくなって帰りの電車の中ではずっと「早く猫に会いたいなあ。さみしがってるんじゃないかなあ」と思っていました。

そして案の定、帰って猫たちに挨拶を済ませ、そのまま猫えを膝に乗せてリビングのソファに妻と座って、「ああ、家が一番落ち着くね」と言い合いました。それもまた、既定路線なのでした。

2025.01.30 Thu.

「他人ごと」より「自分ごと」

ここ数日は日差しが暖かい日が続き、ジウとの散歩も楽しいです。

とはいえ、僕は散歩しているつもりだけど、ジウはパトロールしている気分だと思われます。

よく外飼いの猫ちゃんに遭遇するのですが、そういう時、ジウは尻尾をたぬきみたいに膨らませて猫を追いかけようとします。「自分の縄張りに入りやがって」という気持ちなんでしょうかね。

これが散歩中のワンちゃんだとしないんですね。過剰反応するのは、相手が猫の時だけ。同族嫌悪なんでしょうか。

でも、どっちかというと、ジウの方が相手の縄張りで散歩してるだけなんですけどね。しかも保護者同伴で。そう考えると、なかなか恥ずかしいんじゃないでしょうか。僕がいるから、強気な態度に出れているような気もします。ジウは、所詮は1人で散歩なんて行ったことのない箱入り息子なのです。

ところで、特に最近はやたらと世の中を賑わせているニュースが、ずっと流れていますね。ネットニュースでは人の悪感情を煽るような見出しがたくさん並んでいるので、僕はあまり見ないようにしていますが。

できれば、こうして世の中が騒がしい時でも、ペースを乱されることなく、自分の歩調で生きたいものです。言ってしまえば、外で起きている出来事やニュースなどはしょせん「他人ごと」。10年後に振り返った時、それが自分に何かもたらしてくれるでしょうか。

そもそも、そんな出来事やニュースなどほとんどの人が忘れてしまっているんじゃないでしょうか。世の中なんて良くも悪くも、そうしてあっという間に今話題になっていることなんて流れていってしまう。そのうえ、情報は莫大すぎて、それらにかまけているだけで人生が終わってしまうかもしれない。

そんなふうにもったいなく生きるよるも、自分が今できること、大事にしたいことに集中して、10年後に「ああ、あの時自分はあんな気持ちで生きていたのだな。がんばっていたのだな」と思える方がずっといい。

「他人ごと」より「自分ごと」に集中。忘れないでいたいものです。

2025.01.29 Wed.

文学は癒しになるのか

『森崎書店の日々』のロシア版の献本をいただいたので、写真を載せておきます。

ロシアの情勢について偉そうなことなど言えない身ですが、苦しい思いで過ごしている方もいると思います。そんな方のところに届いてくれること、そして少しでも明るい気持ちになってくれることを願っています。

これで何カ国めの翻訳出版かな?遠く離れたロシアの地で、自分の本が出版されているというのはとても不思議な気持ちです。

そのように、僕の作品もありがたいことに世界中で読んでもらえているのですが、3月に登壇する予定のある対談イベントのテーマが「なぜ今、国を超えて文学に癒やしが求められるのか?」になったそうです。

今世界中で癒し系の小説が読まれているというのは、僕もよく耳にします。なぜなんでしょうね?個人的にもとても興味のあるテーマです。

「世の中が慌ただしく、しんどいことばかりで、多くの人が癒しを求めている」とか「コロナ禍を経験したことで、人とのつながりやあたたかさを求める人が増えた」とか説明することもできそうですが、それが全てかといえば、違うような気もする。

とはいえ、今はそうしたストーリーや世界観が世界中で受けているわけですが、これが一過性のブームになるか、ずっと続くかは、おそらく誰にもわからないことな気がします。

でも、そうしてブームが過ぎ去ったからといって、自分は癒しの作品を書くのをやめるかといえば、そんなことはないんですね。たとえ、もう世の中にそっぽ向かれても、誰も必要としてくれなくなっても、オファーが来なくなっても、やっぱりそのテーマを書き続けるんだと思います。

なぜなら、僕は自分がそういう小説を必要としているから。自分のために作るという姿勢は、創作をする上で何よりも大事なことだと思います。

そういうわけで、世の中や世間がどんな流れになっても、自分は癒しの小説を書き続けていこうと思うわけです。たとえ、世間のブームから外れようが、それはそれ。根っこの部分では、自分には関係ないのです。

そんな小さな決意も秘めつつ、これからも良い小説を書いていきたいと思っている今日この頃です。

2025.01.27 Mon.

深刻でなく真剣に

今日も猫たちは朝から元気。生きているといろいろありますが、猫たちを見ていると癒されます。

なにしろ猫って真剣に生きている。自分が幸せでいるために、心地いいと思えるように、いつもすごく真剣に生きています。欲望に正直といえばそうかもしれないけれど、人間と違って猫の欲は生存するために一生懸命なんだね、という気がします。

ご飯ちょうだい!と必死にアピールするのも、甘えさせてというのも、一緒にあそぼうというのも、すごく真剣に伝えてきます。そういうところが、なんか癒されるのですね。

そういえば、僕のモットーに「深刻にはならず真剣に生きよう」というのがあります。たぶん、何かの本で読んだ言葉を気に入って心にとどめたと思うのだけど、何で読んだかは忘れても言葉だけは覚えています。

自分はいろいろなことをつい深刻に捉えてしまうところがあるんです。人間関係だったり、自分の生き方だったり、あるいは創作に関しても。「ああしなきゃ、こうしなきゃ。こうじゃないとバカにされる。誰かをガッカリさせてしまう」とか、誰かから強要されたわけでもないのに、物事をすごく真面目に考えてしまう。

でも深刻に考えているときって、視野が狭くなって、自分主体でしか物事を考えられなくなっている状態なんですよね。だから、すごく狭い可能性の中で判断してしまってあとで後悔したりする。

「深刻」と「真剣」は、似ているようで全然違う気がします。深刻が眉間に皺を寄せて自分に厳しく生きるイメージに対して、真剣は前のめりに、ただ人生を全力で生きる感じ。

真剣は肩に力は入っていないし、いろんな可能性や他者も柔軟に受けいれる。集中して物事に取り組んでいる。でも、失敗しても間違っても深刻なダメージは受けない。

とか言いつつも、気がつけば自分はしょっちゅう肩に力が入ってしまうんですね。で、すごく狭い世界の中で人や物事を評価してしまって、しばらくして気づくという。

そんな時こそ、猫を観察するのがいいですね。猫は真剣に、今この瞬間を生きている。けれど、究極的にリラックスして、物事を柔軟に受け入れている。

ああ、そう、「深刻にはならず真剣に生きる」ってこういうことだよね。

2025.01.26 Sun.

ジウ無双

今日もジウは元気に近所をお散歩。

基本的にすごい強気の態度なので、臆することなくガンガンどこでも歩いていきます。(とはいえ、僕がすぐそばにいるからで、ひとりだったら外なんて行けない子ですが)

それはワンちゃんが前からやってこようと関係なし。今日は散歩中のラブラドールの子が前から来たのだけど、ジウは「ワオーワオー」と鳴きながら迷うことなく近寄っていきました。

困惑したのは、相手のワンちゃん。ジウの5倍くらいはある子だったけれど、もともと怖がりな子だったようで、ジウが何も恐れずに近づいていくと、後退りして飼い主さんの後ろに隠れてしまいました。

それでもちょっと勇気を出してジウの匂いをクンクン嗅いで、「やっぱりワンコじゃない!」となったらしく、怯えてしまった。「いつもの犬たちの匂いと違うからびっくりしゃったみたいです」と飼い主さん。いや、こっちこそ驚かせてすみません。

にしても、本当に怖いもの知らずで無双感たっぷりで近づいていくので、飼い主のこっちはけっこうヒヤヒヤします。大抵なおとなしいワンちゃんだけれど、中には気の荒い子もいるから。ジウが近づいていく後ろで、こっちはすぐに抱き上げられるようスタンバイしている羽目に。

もう何年も前だけど、一度興奮してしまった柴犬に襲いかかられたことがあって、その時はこっちも本当に焦りました。すぐにジウを抱き上げたものの、それまでにけっこう地面に倒されて覆い被さられていたので(さすがに向こうも噛んではこなかったけれど)。

その時はジウもさすがに怖かったらしくて、しばらくずっと尻尾がたぬきみたいに膨れっぱなしでした。しばらくは散歩にも行くの嫌がってたな……。

今ではそんなことがあったことなどすっかり忘れて、また臆することなく近寄っていくジウ。勇ましくてかっこいいけど、相手のワンちゃんが引くのでやめてほしいです。