やぎさわ便り八木沢里志 公式サイト

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2025.01.14 Tue.

ジウの効能

今朝はジウと散歩中にたくさんの人に声をかけられました。暖かったし、散歩している人たちも心なしかご機嫌だったからでしょうか。

ときどき会うおじさんがここぞとばかりに近づいてきて、「猫ちゃ〜ん、会いたかったよ〜」とジウの頭を撫で回していました。目尻が下がりまくって、本当に猫好きなんでしょうね。一緒にいた数名の方に囲まれて、「猫って散歩するんですか?」などと質問攻めに。

おじさんたちと別れたあとも、道行くおばあさんにも「かわいいですね!」とニッコニコの笑顔で声をかけられました。こういうとき、何て答えればいいのか一瞬迷いますが、せっかくうちの愛猫を褒めてくれているのだから、「ありがとうございます」と素直に答えるようにしています。ジウは素知らぬ顔で歩き去ろうとしますが。もうかわいいと言われ慣れすぎて、なんとも思っていないご様子。

なんにせよ、一瞬でもみなさんを幸せにできたのなら、言うことなし。すごいね、ジウは!

小説家なんてやっていると、外部との接点が気がついたら全然ない!みたいな日々を送ることになったりします。この1ヶ月、妻以外の誰とも話していない、とかね。

それはやっぱりちょっとさみしいし、孤独を感じたりもするのだけど、こうしてジウと散歩に行った時、わずかでも人との交流があったりすると、いい気分転換になります。自分の殻から抜け出せる、僕にとっては貴重な時間です。

そういう意味でも、ジウがみんなから声をかけられるのはうれしいことです。まあ、主役はジウ。僕はあくまでその従者というだけなのですが。それでもジウと散歩に行くのって、すごく楽しいです。

そんなわけで、また明日もジウと散歩に出るのです。

2025.01.13 Mon.

マイ・オールド・アス

昨日も映画の話を熱く語っておいてなんだけれど、今度はプライムビデオの配信ですごくいい映画を観ました。

タイトルは「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」。昨日の「I Like Movies」と同じくカナダ映画。ただの偶然かもしれないけれど、最近はカナダ映画が熱いんでしょうか。この映画も素晴らしかったです。

ストーリーは、18歳でもうすぐ大学への進学を控えた自由奔放な少女エリオットが友人たちとマジックマッシュルームをやってラリっている際に39歳の自分と会う。その中年の自分からいろいろアドバイスを受けたエリオットは、家族を蔑ろにしてきたことや地元への愛に改めて気づき、そして心から愛せる大切な人との出会いを経て、大人への成長していく……という感じでしょうか。

いきなりマジックマッシュルームでラリって……というはちゃめちゃな展開だったので、どうなるかと思えば、その先は胸が熱くなる、そしてとても美しい青春映画に仕上がっていました。

18歳。何もかも新鮮で、だからこそ家族や田舎の地元などはただ鬱陶しいだけにしか思えない。けれど年をとると、家族との何気ない日々や見飽きていた景色が恋しくてたまらなくなる……。そういうものですよね。それがストレートに描かれていて、「ああ、わかるなあ」と思ってしまいました。

エリオットは大人の自分と会ったことで、自分がいかに家族に薄情な態度をとっていたことに気づく。そのときの少女と大人のエリオットの会話がいいです。

「私、家族を大事にせず、すごいクズだったよね」

「気にしなくていい。18歳っていうのはね、みんな、クズなのよ」

ああ、いいですね。胸のあたりをつんつんと突かれるような、ほろ苦い台詞。こういうのがあるだけで、観てよかったなあと思います。

この話はそれだけでは終わらずに、愛することの喜びや苦しさ、切なさをエリオットが知る方向へと進んでいきます。エリオットが大人の自分から聞いて知ってしまった、ある重大な秘密。それを知ったうえで彼女が下す決断が、すごくいい。涙が出ました。この後半のシーンだけでも、自分はきっと何度でも観直してしまう気がします。

やっぱり映画っていいなあと思うのです。まるきり昨日と同じこと言ってるけど。

2025.01.12 Sun.

I Like Movies

今日もまた、とっても寒い。

あまりに寒くて、お昼に妻と人気のラーメン屋に行く予定だったけれど断念。なにぜ外で並ばないといけないお店なので、さすがにこの寒風吹き荒れる中で30分とか待っている勇気が出ませんでした。

代わりにというわけでもないのだけど、映画館に行ってきました。観たのは、『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』というカナダのコメディ映画。

簡単に内容を説明すれば、「カナダの田舎町を舞台に映画が大好きだけれど自己中でナルシストで他人の気持ちを高校生の男の子が周囲でトラブルを起こしつつも、少しずつ成長していく物語」という感じ。

いけてない女子高生の日常を描いた映画『ゴースト・ワールド』と雰囲気がよく似ていて、笑いの中に人間のどうしようもなさや切なさ、そしてほろ苦さが描かれていて、素晴らしい映画でした。

なんといっても、主人公のオタク少年・ローレンスがいい。勘違いしまくりで自意識過剰、地元や地元の友人を見下しまくり。「カナダなんてダサい場所じゃなくてニューヨーク大に入学して映画を学ぶんだ」と暇さえあれば誰かれかまわず語り出す。

最低なやつといえば、最低なのだけど、なぜか憎めない。なにしろ異常にポジティブだ。それにきっと多くの大人が過去の自分と重なる部分を彼の中に見つけて、身につまされたりするんじゃないだろうか。「地元に進学するなんて絶対嫌だ。東京の大学に行く」みたいなことを考えて、周囲の人を心の中で見下してみたり。そんな若さゆえの傲慢さって、多くの人が経験しているものだと思う。

そんな彼がレンタルDVDの店長の女性との交流などを経て、ちょっとずつ変わっていく。いろんなものを失って、そして少しだけ大人になる。

彼の成長が垣間見えるラストシーンは、嬉しいような切ないような気持ちになってしまいました。彼の強烈で根拠のないナルシズムには人を惹きつけるものが間違いなくあって、それを彼はこれからの人生で失っていくんだろうなあとか考えてしまって。

もちろん、他者と協調し人の痛みがわかる人間になれる方が素晴らしいのだろうけれど。でも、そうなったらローレンスはもうローレンスではなくなってしまうんじゃないかな、とか、余計なことを考えるわけです。

なんにせよ素晴らしい映画でした。まだ今年はじまったばかりだけど、もしかして今年のベスト1になるんじゃないかな。映画っていいですね。特にミニシアター系の映画が、やっぱり自分は大好きだ!

そういえば、いつか小さな映画館を舞台にした物語を書きたいと思っているんですよね。他にも書く予定のものがたくさんあるのでいつになるかわからないけれど、構想自体はかなりできて、ひそかに書くのを楽しみにしています。

映画っていいなあ。映画館っていいなあ、と思った1日でした。

2025.01.11 Sat.

今年最初の運試し

今日の夕飯は、久しぶりに圧力鍋で角煮を作りました。僕の少ないレパートリーのひとつです。

圧力鍋ってちょっと怖いですよね。そんなことないですか?僕はいまだに圧力後に鍋を開ける時、ビビっています。

数年前、初圧力鍋を購入して使った時に、圧力ピンがしっかり下がっていない状態でうっかり開けてしまったんです。説明書を読まないので、そんな基本中の基本さえ理解しておりませんでした。で、開けた途端に圧力から解放された煮汁が全部「ブババババ!」と飛び散ったのです。妻と僕は突然のことに固まってしまい、天井高くまで噴き上げる煮汁をしばらくなすすべもなく眺めるという、苦い思い出があるのです。

まあ、さすがにもうそんな失敗はしません。ただ、いつもおっかなびっくり、「どうかあんな惨事にならないでくれ」と心の中で祈りながら、開けています。

ところで今年は年明け早々、高○屋に行ったんです。そこでもちょっと苦い思い出がありました。

新春セールでちょっと大きめな買い物をしたら、抽選会のくじ引き券もらったのです。1万円に一回くじを引ける券だったので、なんと9回分。一等賞は箱根2泊3日旅行、2等はマウンテンバイクと、景品もなかなか豪華。

これは今年一年を占う、年の初めのいい運試しだと妻と話して、いざ抽選会へ。9回分も引けるし、旅行券当たっちゃったらどうしようかな、などと思ってくじを9回引きました。

結果、全部ポケットティッシュ。ポケットティッシュ9つ。そんな大量のポケットティッシュはいらないと内心思ったのだけど、係のなかなか偉い役職についていそうなおじさんが問答無用で押し付けてくるので、仕方なくカバンへ入れて、そそくさと帰りました。ポケットティッシュを山盛り持った無表情のおじさんが怖かったです。

で、そんなことがあったのをすっかり忘れて、今日1週間ぶりにそのカバンを持って、人と会うために喫茶店に行ったのです。で、このカバンこんなにもの詰まってたっけと、歓談中に急に不思議に思って開けたらビックリ。なんか大量のポケットティッシュ入ってる!恥ずかしくてその場の誰にも言えず、慌ててカバンを閉じたのでした。

そんなことがありつつも、夕飯につくった角煮はおいしくて、妻にも好評でなによりな1日でした。

2025.01.10 Fri.

過剰な期待を捨てる

今日は朝から、北風が冷たかった!びゅうびゅう冷たい風にさらされながら、ジウとさんぽに行ってきました。

最近はトトの食欲が止まりません。ご飯をあげると、自分の分を1秒でも早く食べ終えてお兄ちゃん(ジウ)のご飯にちょっかいを出し、おこぼれをもらうのに必死です。ちょっと哀れになるくらい必死です。

「天高く馬肥ゆる秋」ということわざがありますが、うちでは「トト肥ゆる冬」状態。何がそんなにきみを駆り立てるのか、トトよ。

全然話は変わりますが、最近常々思うのが「人に期待しすぎるのは毒」だよなあ、ということです。

人間って誰しも、心理的にやっぱり誰かに頼りたいとか、わかってほしいってて気持ちを誰もが持っていると思うんです。

もちろん人と気持ちが通じ合ったときには、何にも変えがたい喜びがあるのも経験上知っているのですが、そればかり(他者への期待)ばかりになってしまうと、逆に人は不幸になってしまう気がするんです。

期待=欲なので、それが叶わなかったときに、その期待が今度は怒りや落胆になってしまうのですね。強すぎる愛が憎しみに変わるのとおなじです。すみません、愛のことなどよくわかってないのに、かっこつけました。

とにかく本来、その人がどんな反応や行動をするかは相手の領分であって、だからこそ基本的に自分の思い通りに動いてくれないことの方が多いことを、人って忘れてしまうのですね。

家族や友人や仕事相手でも、期待をしすぎて接すると、それが裏切られたときに「なんだよ!」となって苦しい。それはたとえば、応援している芸能人とかでも同じ。相手に過剰な期待をしたあまり、そのk人物が不祥事を起こしたりしたときに「裏切られた!」となって、怒りや絶望になってしまう。それってしんどいですよね。

ネットニュースのコメント欄なんて、まさに相手(芸能人や企業など)に勝手に期待して、それで裏切られたと怒っている人ばかりのようにも思えます。まあ公約を何も守らない政治家とかには怒って当然な気もしますが、会ったこともない俳優やアイドル、自分が勤めているわけでもない企業とかに強い期待を持って、「あれ、自分の思ってなのと違う!なんでこいつはこんな裏切りを!」ってなるのって、ストレスでしかないと思うのです。

そういうわけで、なるべくストレスなく生きるためには、「他者に過剰な期待はしない」ということなんじゃないかと思うのです。しょせん他人は他人。そのくらいの距離感や意識でいた方が、相手を許しやすくなるし、自分も楽ですから。

偉そうなこと言ってますが、僕もつい他者に無意識にすごく期待してしまって、あとで「なんだよ!くそったれ!」と思うことが多いです。それ、やめないとなあと思って、そんなことを最近はよく考えているという話でした。

なんか昨日に続き、長い日記になってしまった。明日はもっと短く終わらせるぞ!

ところで、突然ですが問題です。

問い・上にあげた写真はどんな状況を撮ったものでしょう?

答え・妻のお腹の上に乗ったジウの背中に、フィギュアを乗せた状態です。ジウの背中ってキャンプに適しているようです。

では、また!

2025.01.09 Thu.

新年の教訓

ジウさんはアレルギー持ちなので、しょっちょう目が腫れてしまいます。最近は掻きむしって余計にひどくなってしまって、せっかくの美男子が台無しになってしまったので、病院でストロイドを出してもらってきました。飲ませたら、腫れもだいぶ引いたようです。

ステロイドは効きが強いし人間と同じで猫も副作用があるので、飲ませるのを躊躇していたのですが、あまりに痒そうだったので、しばらくは飲ませて、まずこの痒みと腫れをおさえてみようと思います。もちろんジウさんの体調管理も忘れずにね!

話は変わるけれど新年早々、「やっぱり関わる人や仕事は選ばないとダメだよなあ」という経験がありました。

数ヶ月前にホームページ上に来たインタビューの依頼だったのですが、最初から嫌な予感がしていたんですよ。メールの文面が不躾で横柄で、無償でのお願いとありながら、どこか上から目線という。

あまり興味の持てない企画だったのもあり、最初は断ろうとしたのですが、きっとこの方には大義があり、自分がそれに少しでもお役に立てるならばと思い直して、善意でインタビューに応じたのです。が、やっぱり話しても、「う〜ん」という感じ。

そもそも僕の作品を読んでないか、読んだけど好きでなかったのか、話していてもまるで噛み合わず、途中から「一体なんのために作品の話をししてるんだろう?」と内心バカらしく思っていたのです。

しかもそこにはこちらにはなんの予告もなく同席者がいたのですが、その方にいたっては無気力感丸出しで、「よほど僕の話がつまらないんだなあ」とこっちが申し訳なく思ってしまうほどで……。

結局その後、長いこと相手側から音沙汰なし(その時点で普通はありえない)。これはもう企画がなくなったのだなと内心安堵していたら、今日何事もなかったかのように突然連絡してきて、記事の進行状況などの説明は一切なしに、こちらに顔写真を送ってと要求だけしてきまして… …。

さすがにこれはないなと思って、少し強めの返信。すると、こちらを慮る気一切なし、むしろ強気な返信を相手がしてきたので、その時点でインタビューの掲載はお断りしました。なぜ自分がお願いしてる立場だということを、そして、こちらが掲載されなくても一向に構わないと思っていると想像できないのだろう?

取材される側が自分のために貴重な時間を割いて応じていることへの、感謝の気持ちもなし。インタビュアーとして以前に、人間としての姿勢がそもそもよろしくない。

そういうわけで、新年早々いろいろ思い知らされた一件でした。最初から直感では「これはまずそうだな」とわかっていたのに引き受けて勝手に不愉快な気持ちになっているのだから世話ないです、はい。自分も悪かった。

善意の心を持つことをいつも大事にしているつもりだけれど、ふさわしくない人間にまで善意の気持ちで接する必要なんてないのかも。

そういえば、年始に引いたおみくじの「商売」のところには「損得よく考えるべし」と書いてあったんです。本当にそうだ、今年は受けたくないと思った依頼、自分に損になる予感のするものまで受けるのはやめよう!やっぱり直感は正しい!と思いました。

とはいえ、お仕事で関わらせてもらっている方の大半は、しっかりして信頼できる方ばかり。むしろ僕の方が圧倒的に常識がない気がするので(もともと世間の常識に疎いから小説家なんてやってるというのもある)そんな自分が「この人は非常識だ!」と思うケースって本当に稀。そういう人は方々でトラブル起こすし、そのうち誰からも相手にされなくなるんでしょうが。

なんにせよ、人生短いし、失礼だったり話の通じない人の相手をする時間なんてもったいないですね。気をつけます。

皆さんもお気をつけて。

2025.01.08 Wed.

不便なコンビニ

今朝は比較的あたたかく、おさんぽ中のジウさんも心なしかご機嫌でした。(寒い朝に行くと、ジウは高確率で全身ぶるぶる震えているのです。そんな思いまでして行きたいのか?)

しかし、最近のジウさんは散歩中、前から人が歩いてくるたびに「ワウワウワオー」とかなり大きな声で鳴きだします。

おそらく本人としては、「よっ!おはよう。ちょっとオレのこと撫でてけよ?なあなあ」と言ってるつもりだと思うのだけど(超人懐こい子なので)、なにしろドラ声でワウワウ言うので、どう聞いても「おい何見てんだコラ!やんのか?おら、かかってこいよ!」と喧嘩を売ってるようにしか聞こえないというね…。一緒にいるこっちとしては、ちょっぴり恥ずかしいし気まずいです。

ところで、年末年始の読書には韓国のヒーリング小説の大ヒット作『不便なコンビニ』(著・キム・ホヨン氏)の続編『不便なコンビニ2』を選びました。といっても、この本は2月刊行予定で、僕は推薦コメントを書かせてもらう関係で一足先に読ませてもらったのです。

もともと前作が好きで、それを出版社に打ち合わせに行ったときに伝えたら、担当さんの耳に入って「ぜひコメントを!」となりました。いや、前作のファンとして刊行前に読ませてもらえてとてもうれしかったです。内容も前作同様とてもよくて、個人的にも刊行が楽しみです。

僕の作品みたいな、つまりヒーリング小説(ほっこりではなく、ヒーリングです。人間の癒しや再生をテーマにしている作風)がお好きな方はきっと気に入るのでは、と思います。

最近は韓国の小説が面白いですね。韓国といえばドラマは過激なのが多いですが、小説は癒し系の作品が人気というのも不思議だけど、そこも含めて興味深いです。

というこで、また。

2025.01.07 Tue.

トトはフローラル

今日も寒い朝だったけれど、ジウとお散歩。すると、トイ・プードルを散歩しているご近所の方に遭遇。この方はジウのファンなので久しぶりに会ったジウに大興奮。

「おばちゃんにも触らせて〜。ああ、ジウちゃんかわいい」とジウをさわさわしながら大層喜んでおられました。ジウは幸せを運ぶ天使ですなあ、とこっちまでほんわかした気持ちに。

その方が「猫ってあんまり臭いしないんですねえ」とジウを触った手の匂いを嗅ぎながら感心しておられた。たしかにワンちゃんは触ったあと、結構手にワンコの匂いつきますね。「猫は体臭あまりないんですよ」と言うと、驚いておりました。

でも本当のことを言うと、ジウちゃんはうちの中では「オスの中のオス」って感じの子なので、他の子に比べるとけっこう野生臭というか獣臭みたいなのがします。天国に行った先代猫のにゃあ太は男の子だったけど「ぼくね、ぼくね」と言う感じのおっとりさんで、だからなのか、ジウほど野生臭はしなかった。

で、うちに初めてきた女の子トトさんは、これが嗅ぐたびに驚くのだけれど、まったくの無臭。ぜんぜん動物の匂いがしないんです。さすが我が家のアイドル猫さまです。でも、もっともっと匂いを嗅いでいると、ほんの〜りとその無臭の中に花のような甘い匂いがするときがあります。

僕と妻は「トッちゃんすごいね〜。アイドルだねえ」とそうして匂いを嗅いでは褒め称えているのでした。そしてトトの自己肯定感は爆上がりで、写真のようなアイドル的上目遣いで甘えてくるのです。というわけで、今日撮れたトッちゃんのスーパーショットでした。

2024.10.07 Mon.

頭をカラッポに

またちょっと日記を書く感覚が空いてしまった。

空いてしまったここ一週間くらい、何をしていたかと言えば、頭をカラッポにする練習をずっとしていた。いわゆる禅の修行。とはいえ、仕事や日常生活は普通に送っていて、単純に家で一人の時間にそうして練習する時間を多めに取っていたというだけ。

なぜかと言えば…とにかく思考がうるさくてたまらなかったから!

もともと左脳優位人間なのか、いつもいつも考え事ばかりしてしまって、一人でクタクタになってしまう人間なのだけど、ここ最近は特にそれが顕著だったので、

「よし、気合いを入れて思考を減らそう!」

 と思ったのです。何しろ朝起きた瞬間から、自動思考が波のように押し寄せてきて1日を無意識に思考に飲まれて送ることになってしまうので、そうならないためには自分に強く念じるしかない。

なので、午前中からしっかりと集中できる時間をとって、自分の思考と向き合い続ける一週間を送ってみたのです。ああ、疲れた。でも得るものは大きくて、だいぶ頭の中の思考をカラッポにできるようになってきた。

ということを言うと、「そんなに頭の中ってうるさいものですかね?」と不思議がる人がいるけれど、おそらくそういう人は、自分の自動思考にも気づけていないのだと思う。ポジティブな人はそれでもいいのかもしれない。でも普段からネガティブな思考が浮かびやすい人は、思考まみれだと人生そのものが不幸になってしまう恐れがある。そう、僕のように根が心配性で、それなのに思考をやめられない人間は特に。

とにかく、そのように努力をしてみた結果、おかげで思考がだいぶ減った、というか、思考を気にしないコツを掴むことができた気がする。

やったことは言葉にするとすごく簡単。意識を思考(頭)でなく、お腹や体の方に向ける練習。ヨガでもよく紹介される、ボディー・スキャンというやつ。でもこれ、左脳重視の人間には本当に難しい。何しろ自分の体の感覚なんて放置して、いつも考え事に浸っているのだから。

というわけで、その苦手なことをとにかく頑張って続けてみた。今までも取り組んでは挫折していたけれど、今回はもっと本気で。家でじっと椅子に座って体に意識を巡らしたり、長い散歩に出て歩きながら足の裏や体の動きに意識を向けてみたり。

こんなことやっても無駄じゃない?と思うくらい、最初は全然ダメだったけれど、ここ数日あれ?という感じに思考が静まる瞬間が増えてきた。似ている感覚としては、自転車に乗る練習をしていて、今まで全然乗れなかったのに急に乗れるようになる、あの瞬間。あるいは、楽器を練習していて、全然弾けなかったのに、何にも考えなくてもいつの間にか指が動くようになっていた瞬間。そんな感じで急にストンとコツがつかめた。

そうして振り返ってみると、今まで必死に無思考状態になろうと思考を消すことばかり考えていたけれど、その考え方がそもそも間違っていたんだなと。思考っていうのは、人間が生きていて脳が正常に機能している限り消すことはできないものなんだと気付いたというか。

思考は消せない。でも、それでじゃあ思考まみれで生きる必要はない。なぜなら思考をミュートすることは案外意識すればできる。つまり、ネガティブなことだったりを頭がどれだけ考えていようと、その音量を絞ってしまえばいいんだな、と。

そこで大事なのが、頭に向いている意識を体に向けること。頭でどれだけおしゃべりが続いていても、体の方に意識を向ける。苦手でも、こんちくしょーと思って何度でもやる。

そうしたら脳がすごく静かな時間が増えてきた。考えているけれど、ミュートで最小限に音量を絞っているので、自分に影響が出ないという感じ。代わりに意識は体へ。すると、呼吸をしたり歩いたり走ったり食べものを消化したり鼓動をしたりと、体が今まで自然にしてくれていたこと、自分が意識もしなかったことに、なんだか感謝したい気持ちになってきた。いつも思考でいっぱいで気にもしていなかった間も、ずっと体はがんばって自分を生かしてくれていたんだな、と。

うーん、あんまりうまく言えないのだけれど、とにかくそんな感じ。この文章を書いている間も、けっこう頭はカラッポ。それってすごく新鮮な体験。

というわけで、今後も思考を小さくする修行に励もうと思うこの頃なのでした。

2024.09.25 Wed.

木登りジウ

やっと涼しくなってジウとの散歩も捗るように。

ジウはけっこう木登りが好きで、お気に入りの木があると、にゃにゃにゃっと登っていく。僕の身長(174センチ)くらいまで一瞬で登ってしまう。猫の身体能力、すごいなあと毎回感心させられる。

最近は暑くてぜんぜん木登りしてくれなかったのだけど、今日は公園に行ったら久しぶりに木登りを披露してくれた!

大きな桜の木を見上げて、「ん〜」と一瞬悩んだあとで、「よっしゃ、行くか」って感じで急に木に飛びつき、にゃにゃにゃっと登っていく。「ジウちゃん、すごいよ!」と飼い主(僕)は横で大喜び。

しかし、木に登ったジウはどうするかと言うと、その場でじっとしている。その姿は木に張り付いたカブトムシのよう。なにしろ登ってみたのはいいけれど、自力では下りられないのである。なので、仕方なく、僕が木から剥がして(爪が木に刺さっているので文字通り、剥ぎ取る感じ)、下ろしてやらないといけない。

下ろされる間、ジウはずっと無抵抗。こうしてこっちが下ろしてあげるまでがワンセットなので、ジウもすっかり慣れたもので、下ろされるのを待っている。いいんだけどさ…。

というわけで、今朝もこの儀式をやってきた。ジウが見事な木登りを披露し、僕が下ろす。朝から楽しいね。