2024.06.26 Wed.
頭をからっぽに
僕の頭は通常の人よりおそらく30倍くらいうるさいと思うのですが(当社比)、それが子供の頃からの悩みで、ここ数年はずっと瞑想を習慣にしています。とにかく思考を減らしたい!と思ってのことですが、なかなか思うように減りませんです。
困りますね。でも、たぶん小説家として物語を書けているのは、たぶんこの思考がとにかく多いおかげでもあると思うので、一長一短というか、まあ悪いことばかりではないのでしょうが。
とはいえ、常時うるさいのはいかがなものかと思うわけです。何もご飯食べてるときとか、車の運転してるときとか、映画見てるときとかくらい静かにしてくれたっていいじゃないですか。
瞑想のおかげで前よりはだいぶ減ってきて、暮らしやすくなりましたが。本当に子供の頃はもう、自分の思考が止まらないことでちょっとノイローゼ気味だったので。周りからはおとなしくて口数の少ない子と思われていたようですが、いや、頭の中がうるさすぎて、人と喋ってる余裕がなかっただけです。
まあ、それはさておき。最近ちょっと発見をしたのです。なんと、人間は息を止めている間は考え事ができないということに!なんか当たり前すぎることの気もしますが、 自分には相当画期的な発見です。
今まで瞑想中も息を吸ってすぐに吐き出していたのを、吸ってから2秒ほどクッと止めてみる。それから息を吐き出す。たったそれだけのことなのだけど、その2秒間は思考が完全に止まるのを実感できます。しかも毎呼吸止めるので、思考が断片的になって、そもそも頭がだいぶ静かになるという。
いや、すごい発見。40年以上の悩みが、だいぶ軽減されました。そうか、瞑想において呼吸法もやっぱりすごく大事なんですね。ずっと独学でやっていたので、いまさらそんな基本的なことをひしひしと感じております。
なんにせよ、思考が止まらない、とか、最近悩み事が多くてつらい、という方はぜひ試してみてほしいです。人間の思考の9割は無駄だって話しだし、いっそ止めとくべきだと思うのですよ。

2024.06.25 Tue.
プールの日々
暑いです。本当に梅雨はどこにいっちゃったのってくらいに暑いですね。
というわけで、毎日暑いので最近はジムでプールにばかり行っております。冷たい水に体をひたして、ちょっと泳いだり、のんびり水中ウォーキングを楽しんだりしてると、いや、かなり爽快です。
それにしてもウォーキング中は、脳が暇すぎてとにかくいろんな雑念が浮かんできます。なんか体の疲労よりも頭の疲労の方がしんどい気が。でも浮遊感や体にまとわりついてくる水のやわらかさを味わっていると、たいそう楽しいです。
僕が通っているそのジムはショッピングモールの中に入っているためいつも車で行くのだけど、混雑を避けるために交通誘導の方たちがいつも数人います。しかしこう暑いと体調大丈夫かな、と心配になります。まだ6月だというのに、みなさん、すでに真っ黒に日焼けしているし……。
持ち回りで適度に休憩など取りながらやっているのだろうけど、本当に過酷なお仕事だな、と。それでもいつも元気できびきび働いている彼ら彼女ら(けっこう女性の方もいるのですよ!)には尊敬の念しかありません。でも、無理はしないでほしいです。一番大事なのは自分の体なのでね。
関係ないのだけど、上の写真は庭でなぜか木登りに挑戦中のうちの愛猫トトさん。どこにいるか、わかりますか?この暑いのによくやるよなあ。いや、たいしたもんですね、あなたは。
という感じの最近です。みなさまも、どうぞ熱中症にはお気をつけて。

2024.06.10 Mon.
何になるかでなく、どう生きるか
SNSなどを見ていると、みんな何かに必死になりたがっていると感じる。
変えのきかない自分、この世にただ一人の存在、みんなから憧れられる存在、フォロワーがたくさんいる自分、ファンがたくさんいる自分。
自分にどれだけ価値があるのかをアピールしすることが大切。
簡単に世界とつながることができるようになってしまったことで、もっと大きな自分を欲するようになってしまった人が多い気がします。
だけど、何かになりたいという願いばかりで生きていると、まだ叶っていない自分に価値がないと思えてしまわないだろうか。
なんとなく、何かに必死になりたがっている人たちは、同時に今の自分を否定して、苦しんでいるように見えることがあります。
でもね、結局「何かになる」というのは成り行きで、精一杯生きて来た結果に得られることじゃないだろうか。
大事なのは、何かになろうと苦しみながら突き進むことじゃなくて、今をどう生きるかに意識を向けることなんじゃないかな。
今、この瞬間、自分ができることを心を込めて、できれば楽しんでやる。
その積み重ねがいつか、自分を何か=何者かにしてくれるかもしれない。
もっとも、今をどう生きるかに目をこらして生きていれば、そもそも自分が何者かなんてあんまり気にならなくなるんじゃないか。
いまちょっと苦しいなとい人は、SNSのような欲を肥大させる場所にいるのに疲れた人は、いったんスマホは置いて、今この瞬間を生きてみるのもいいんじゃないかと思います。
自分はこれからどう生きるか、どこに向かうべき方向性があるか。
心の声は小さいから、あまり雑音のない静かな世界に身を置いて、そんなことを考えてみる時間も、大事だと思うのです。

2024.06.03 Mon.
小さな幸せ
今日は午後から、近所を散歩。
ただそこらを歩いているだけでも、最近はすごく幸せな気持ちになります。自分でもこんなにお手軽に幸せになれていいなあ、とすごくうれしい。
日常の穏やかさや平和を噛み締めて生きていけていることを実感。以前の自分は、そうした目の前にある小さな幸せを無視して生きていたところがありました。忙しかったのもあるのだろうけど、欲が強くて、もっともっと、といつももっと大きな幸せを求めてしまっていたのだと思います。
数ヶ月前にSNSをきっぱりやめ、もっと自分と向き合う時間をちゃんと作ったのも大きいかな、と。
SNSって見ているだけでも、情報や欲望が自分に流れ込んできて、それが社会(他者)の欲や望みなのか、自分の欲や望みなのかが、わからなくなってしまう。
やめてみて、「あ、こんなに自分って自由だし、そんなに欲しいものなんてなかったんだなあ」と改めて実感してみたり。
そういうわけで、ただ散歩するだけでも心に充足感があふれて、もうそれだけで幸せなのです。
家の軒先や公園のあちこちで、紫陽花がたくさん咲いていました。紫、白、赤紫。昨日の雨露に濡れて美しかったです。
これからは、そんな小さな幸せをもっと感じていきたいなあ、と思います。人生の目標というか。
この日記も、そんな小さな幸せを記し場所にしてもいいかなと思ったり。日常で忘れたり、見落としてしまいそうな幸せこそ、本当はしっかり覚えておきたいし、後から振り返ったら大事に思える気がします。
みなさんにも日常にある小さな幸せがたくさん見つかりますように。
明日も、小さな幸せに気づける一日でありますよう。

2024.05.29 Wed.
純喫茶トルンカ新作
やっと!やっと!長いことお待たせしていた『純喫茶トルンカ』の3作目が無事書き終わりました!
本当に長いことお待たせしてしまいましたが、なるべく早くお届けできるようにと思っております。現在は、絶賛推敲中です。一応、これで最終巻のつもりで自分では書きました。
というか、主人公を変えていくスタイルで書いたこの作品、もうとりあえず全員書いたかなという感じで、さすがにネタがないのです。
というわけで、以前から要望の声が多かった立花マスターのお話もしっかり入っています。
マスターにはこんな過去があったのか!と驚いていただければと思います。僕も知りませんでした(笑)だいたいいつも書きながら、話も考えていくので。そういうわけで、「へえ。マスターってこんな人だったんですね」といろいろ知ることができて楽しかったです。残り二つのお話の主人公も、楽しみにしていただければと思います。
さて、この『純喫茶トルンカ』シリーズですが、実は全米とイギリスで英訳出版されることが決まっております。来年くらいには1巻目が出るのではないかという感じです。
オファーをいただいて嬉しかったのと共に、「欧米の人に『純喫茶』の雰囲気って伝わるんだろうか」ともいう懸念も。向こうでは基本カフェでしょうし、僕の拙い描写で純喫茶という日本独特の文化が伝わればいいのですが。
願わくば、純喫茶に興味を持ってもらって、日本に純喫茶めぐりをしに来てくれる海外の方が増えたりしたらうれしいです。ぜひ谷中にトルンカを探しに行ってみたりしてもらえれば、なおうれしいですね。
いや、実際にはトルンカは存在しないので、探したところでないのですが。日本の人情あふれる下町の商店街の雰囲気を味わってもらって、「こんなところにトルンカはあるのね!」と思っていただければな。と。
とりあえず、日本のみなさまには3作目のトルンカを楽しみにしていただけたらと思います。
僕も書店に並ぶのが今から楽しみです(気が早いね)

2024.05.26 Sun.
落ち込んだ時こそ何かを書くのだ
さて、昨日もお伝えしように今日もちょっと落ち込んでおります。
が!
こんな気分の時こそ、作家としては何かを書くのだ、と自分を奮起させています。
ダメだったことや失意の気持ちに意識を向け続けてしまうと、気持ちはどんどん沈んでいきますから。かなり踏ん張りは必要だけど、創作の方に意識を向ける。そうして何かを創り出している感覚を味わえれば、「自分にはまだできることがある」という前向きな気分にもだんだんなってくるというもの。
そういうわけで、今は、とあるペンションを舞台にしたお話を書き進めているところです。この作品はポプラ社さんの季刊誌用に書いた短編を元に、連作短編として一冊の本にまとめた作品となります。
ちなみに7月にポプラ社より発売予定のアンソロジーで第一話(『ペンション・ワケアッテの夜食』)がお読みいただけます。でも単行本化する際はかなり加筆する予定なので、けっこう雰囲気は変わると思います。
それぞれワケアリのお客たちがペンションを訪れると、そこはどうやらいわくつきのオーナーが営むペンションらしく……というちょっとコミカルな設定で始まるお話です。
でも、コミカルで笑ってしまえる展開の中に、僕がこの数年で学んだ「生きるヒント」みたいなものを散りばめたいと思っています。読んだ人が楽しんでくれて、さらに明るく人生を進んでいける気分になるような作品にしたいと思っております。
ともあれ、ポプラ社さんの最高に頼もしい担当さんのおかげで、この企画はあっという間に話がまとまり、執筆にだけ専念できて本当にありがたいです。
今後はすべからくそのように、「作家は良い作品を書けばいい。ただそれだけ」という環境の中で創作活動を続けたいものです。今までの作家人生、本当にそれ以外の余計なところで悩まされることが多すぎました…。
そして、そんな理想的な環境を、自分の手で作っていかないとなとも思っています。
つまり、人の皮をかぶった魑魅魍魎(いるんですよ、本当にそんなのがこの業界界隈には)とは一切関わらないようにしていこうと思っています。そのためにも人を見る目を養っていかないとな、と強く思います。
以前の僕は利益目的で近寄ってくる人たちの言いなりにばかりなって、そしていいように利用されてしまっていました。それは僕の自信のなさや精神的な未熟さ、そして人を見る目のなさが招いてしまった結果だったとも、今になって考えればわかるのです。
もうそんなのは懲り懲りなので、自分で自分の人生をコントロールするため、そしてよりよい創作環境を得るために、戦っていきます。
というわけで、書き進めているうちにだいぶ気分もあがって、今ではすっかりココロも落ち着きました。もうちょっと書こうっと。完成をどうぞ楽しみにしていてくださいね!

2024.05.25 Sat.
初日記
さて、ホームページ開設いっぱつめだし、楽しいこと書くぞと思っていたのですが、お知らせにも書きましたように『森崎書店の日々』の新装版の話がなくなり、がっくりきているところです。
まあ、権利問題が解決されておらず、これ以上こじれるのが我慢ならなかったので、私の方で決断したことですので選択に悔いはありませんが。
でも!楽しみにしていただいた読者の方には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
また今後、この作品は絶版に持っていきたいと思っていますので、書店やネット上で見かけることはなくなると思います… …。
というわけで、
「皆さんの心の中に『森崎書店』はいる!だから、忘れないでね!
と、なんかうまくまとめてみようと思いましたが無理がありますね(笑)
しかも海外数カ国からの新規オファーも来ていたのですが、名称はひかえますが、これも作者の私を差し置いて利権を欲しがる某団体の収益にしたくないので、断ることとしました。
海外からのオファーってそうあるものではないし、作者自身が断るってそうないことだと思います。レアです、我ながらすごいなと思います。
フィンランド、好きな国なのでオファーが来たときはすごく嬉しかったのですが、それもお断りすることに……。切ないです、はい。
でも、ですね、ただでは終わらないです。
実はこの出来事をベースにお話を書こうと決めたところでして、これが本当にすごく面白い!と自画自賛のプロットになっていて、それを書くのが楽しみで仕方がありません。早ければ来年にはお届けできればと思っています。
僕は物書きですから、このような形で自分の痛みや苦しみを昇華するのです。誰か文句を言ってきそうな気もしますが、知らん(笑)
表現のチカラをなめるなよ。
というわけで、生きていると、いやなこと、苦しいこと、どうにもならないこと、落ち込むこと、やっぱり避けられません。でもそれで、立ち止まってしまうのではなく、落ち込むだけ落ち込んだら、また前に進んでいかないとなと思っています。
以前の僕はそういう出来事がやってくるのが怖くて、いつも暗い気持ちで日々を過ごしていました。
でも、「辛いことはある、でも、まあ自分を励まして歩いていこう」と決めました。
だから、進みます。ときどき鼻歌なんかも歌いながら、なるべく楽しくね。それだって、立派な強さだと思うのです。
では、また。
