2025.11.10 Mon.
コーヒー豆をこぼす日
朝、豆を挽こうとして、派手にキッチンにぶちまけた。
まあ、僕にはよくあることなので、妻は驚きもしないけど。
黒い粒が床の上でコロコロ転がり、
まるで小さな反乱軍のように散っていく。
掃除機を持ってくる途中、なぜか笑いが込み上げてきた。
豆が転がる音って、意外と軽やかだと思った。
こっちは慌ててるのに、豆は楽しそうに逃げていく。
ようやく全部拾って、数粒を捨てる前に、
「お前たち、いい香りじゃないか」と声をかけた。
気のせいか、ほのかに返事をされたような気がした。
やっと淹れたコーヒーを飲みながら、
「こぼす」と「こぼれる」は全然違う言葉だなと思う。
前者には焦り、後者には自然がある。
今日のは完全に「こぼれる日」だった。
まあ、そんな日もある。いい香りだったし。
2025.11.08 Sat.
スリッパの裏の人生
朝、スリッパを履いた瞬間に違和感があった。
裏のフェルトが片方だけはがれかけて、ペロンとめくれている。
歩くたびに「ペタ、ペタ」と音がする。
たったそれだけで、なんとなく人生が間抜けに感じる。
直せばいいのに、面倒でついそのままにしてしまった。
そのうち慣れてきて、「ペタ、ペタ」という音が
ちょっとした生活のBGMになってくる。
台所でコーヒーを淹れる間、
この「中途半端な不具合」に思いを馳せた。
人も物も、完璧じゃないときのほうが、妙に愛嬌がある。
たぶん、ちょっとズレてるくらいが落ち着くのだ。
昼過ぎ、ようやく修理を思い立ち、
接着剤でフェルトを貼り直した。
静かになった足元に、少し物足りなさ。
さっきいまでのペタペタ音が恋しいなんて、勝手なもんです。
2025.11.06 Thu.
冷蔵庫のドアが閉まらない夜
深夜、のどが渇いて冷蔵庫を開けたら、
なぜかドアが閉まらない。
寝ぼけているので、何度もガコガコやってしまった。
それでも全然閉まらない。
仕方なく中を丁寧に見ると、ドレッシングがやけに斜めに置かれている。
一ミリ動かしてみる。
パタン。あっけなく閉まった。
たったそれだけのことなのに、
「人生ってこういうことかも」とか思ってしまう。
あるいは、小説を書くということも。
少しの角度がずれてるだけで、うまく閉まらない。
心のドアも、似たようなものかもしれない。
丁寧に見て、ちょっとだけ直せばいいのに、それが難しい。
冷たい空気が逃げる前に、そっとドアを押さえて、
「おやすみ」とつぶやき、ベッドへ消えましたとさ。
2025.11.04 Tue.
モンステラの沈黙
書斎の窓際のモンステラが、また少し葉を広げた。
多分自分が普段、ちゃんと見ていないのだろう。
久しぶりにちゃんと見ると、とんでもない急成長をしていることがある。
まるで“今だ”と決めていたかのように。
植物には「間」がある。
何も起きていないように見える時間に、きっとなにかが育っている。
人間が焦っているときほど、彼らは静かにしている気がする。
伸びた葉を見て、僕も少し背筋を伸ばす。
急がないのに、ちゃんと進んでいる。
それって、案外すごいことだなと思う。
2025.11.02 Sun.
雨粒をなぞる午後
雨が上がった午後。
窓を開けると、物干し竿にびっしりと雨粒が並んでいた。
一粒ずつ、律儀に間隔をあけているのがなんだか可笑しくて、指でそっとなぞってみた。
雨粒は、静かに、まるで決意したみたいに地面に落ちていく。
手には、かすかな冷たさと、何かに触れたときのような感触が残る。
ただの雨粒なのに、ちゃんと「触れた」と思えるから不思議だ。
洗濯物も干していない、音楽もかけていない午後。
とても静かで、心が満たされた午後。
理由はない。理由はないけれど、満たされているのって一番幸せだ。
手のひらの温度で、この午後の美しさがちゃんとわかる気がした。
2025.11.01 Sat.
足の甲と、防衛本能
掃除機をかけていたら、家具の脚に足の小指を思いきりぶつけた。
それはもう、爪先でもなく、指の側面でもなく、小指にクリティカルヒット。
一番ぶつけたくない場所である。
痛みが数秒後にじわじわと膨らんできて、それと一緒に、イライラがふっと、湯気のように立ちのぼった。
もちろん誰も悪くない。
それでも、一瞬「ムッ」とする。
おそらく、人間の感情ってこういうときに“野生”が出るのだと思う。
かつては人類は、外敵の攻撃=即・危険、という世界で生きていた。
だから、「攻撃されたらまず怒れ!」という本能が、今もまだどこかにあって、
小さな家具の角ごときにも発動してしまう。そう、これって本能が反応してるんだよね。
そう考えたら、少し笑えてきた。
「本能さん、ここには気を抜くと命がなくなるような危険はないのだよ」
と、自分の心に言いながら、静かに掃除機を再開する。
するともう、イライラはどこかへ行っていた。
2025.10.30 Thu.
白菜と豚肉の鍋
寒くなってきたので、妻に「鍋が食べたいな」とリクエストしてみた。
普段、パスタや炒め物などはわりと自分で作るのだけど、鍋となると、なぜかまったくやる気が起きない。
野菜を刻んで、出汁をとって、淡々と煮込む。料理というより、儀式のような気がしてくる。
鍋というのは、誰かが作ってくれるもの――勝手にそんなイメージがある。
子どものころ、風邪を引いた日の夕食がたいてい鍋だったのも影響しているのかもしれない。
薬よりも、母の鍋。ぐつぐつと煮えた白菜の甘さと、薄切りの豚肉のやわらかさに、体の奥がふっとゆるんでいく。そんな「思い出の味」には、なかなか自分では近づけない。
食卓に鍋が出てくるだけで、今日はもう頑張らなくていい気がしてくる。
栄養も、ぬくもりも、湯気の向こうから静かに差し出されているようで。
「鍋、ありがたいね」と言うと、妻も「たまにはいいよね」と笑った。
2025.10.28 Tue.
朝の角を、丸くするひと
ジウと朝の散歩に出た。
うちのジウは猫なのに、犬みたいにリードをつけて歩く。正確には「つきあってくれている」感じだけど。
朝って、僕はなぜか少し気が立っていることが多い。
今日もたぶん、ちょっと尖っていた。
多分、通勤通学を急ぐ人たちや殺気だった荒っぽい車の運転、そんなものの空気を感じ取ってしまうのだろう。
昔から周囲の空気に敏感なのは、困った体質。
そこへ、近所のおばさん。トイプードルのお散歩をする顔馴染みで、ジウちゃんファンの方。
にこにこしながら、ジウを見て話しかけてきた。
「今日もジウちゃん、元気ねえ!お散歩できてえらいね。うちの子にも挨拶してくれてありがと!」
ジウは、えらくもなんともない顔で、トイプードルの鼻先に自分の鼻をつけてご挨拶。
でも、おばあさんの言葉がふわっと空気に混ざって、
さっきまで立っていた自分の「朝の角」が、少しだけ丸くなるのがわかった。
なんだろうなあ。
挨拶でも、立ち話でもなく、“ただの善意”って、すごく効く。
「ではまたね」とおばさんが言ったあと、ジウは一歩も動かずにその方向を見送っていた。
朝の角を、丸くする偉大なひとを、僕とジウはそうして見送った。
2025.10.26 Sun.
洗濯ものと風
風が強い日。
洗濯ものを干しながら、ふと、「風って見えないのに偉大だな」と思った。
シャツもタオルも、風に運ばれて、ぴんと背筋を伸ばしている。
誰にも褒められないのに、ちゃんと乾いて、また清潔な顔をして戻ってくる。
人も、きっと同じかもしれない。
見えない風に、いつも少しずつ動かされている。
誰かの言葉とか、通りすぎた季節とか。
ささいなことが、自分をまたちょっと乾かして、整えてくれる。
それを、今日の洗濯ものから学んだ。
おかげで僕も、ほんの少し、しゃんとしたのです。
2025.10.24 Fri.
風に向かう洗濯物
午後、ベランダに干したシャツが、強い風に揺れていた。
まるで何かに言い返しているような勢いで、
風に向かって、ぱたぱたと鳴っていた。
最近、理不尽なことに反論できなかった自分を思い出した。
言い返せなかった代わりに、
このシャツがちょっと強めに風と話してくれている気がした。
夕方、乾いたシャツを取り込む。
布の奥に、少しだけ勇気の匂いがした。