やぎさわ便り八木沢里志 公式サイト

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2026.01.15 Thu.

インドへの旅

明日からインドで開かれる二つの文学フェスに参加するために、
十日ほどインドに行くことに。
特にケララ州で開かれるフェスの方は、アジア最大の文学フェスだそうで、
60万人が来るのだとか。
ちょっとその規模感が壮大すぎて掴めない。
そんな大きなイベントに招待していただけたこと、大変ありがたいなあと思う。

というわけで、今日はそのための準備に明け暮れていた。
幸い、妻が旅先で必要なものとかをリストアップして用意してくれていたので、
僕が準備しないといけないことはそんなにはなかった。

でも、インドってワクチン必須なんだなと今回の旅行で知った。
僕も五種類のワクチンを病院で打ってきた。
中でも怖いのはやはり狂犬病。
ワクチンを打ってないと、かなりの致死率になるらしい。
さすがに文学フェスに参加するつもりでインドに訪れて、
犬に噛まれてご臨終と言うのは避けたい。
とりあえず、編集者さんと海外事業部の方と三人しっかりワクチン打ったので一応安心。

さて、どんな旅になることやら。

2026.01.14 Wed.

夜のコンビニ

夜、ちょっとだけ歩いて妻とコンビニに行った。
特別に欲しいものがあるわけではないけれど、
冷たい空気に当たりたかった。

店内は相変わらず明るくて、
昼と夜の区別がない。
レジの前で、「本当に必要なものって何だろう」と一瞬考えて、
結局いつもと同じものを買った。

帰り道、袋の中で缶がカタンと鳴った。
その音を聞いて、
「まあ、今日もちゃんと一日終わったな」と思えた。
それとハクビシンの親子を道中で見かけた。
ハクビシンの赤ちゃんのなんと可愛らしいこと。
散歩に出て、ちょっと得した気分。

何も起きなかった日でも、こういう小さな確認があると、
生活はちゃんと前に進んでいる感じがするのです。

2026.01.12 Mon.

朝のフライパン

朝、フライパンを出したら、前日の油がうっすら残っていた。
洗い忘れたわけではなく、たぶん「これくらいならいいか」と思った跡だ。
誰に責められるわけでもないのに、ちょっとだけ気まずい。

でもそのまま火をつけて、卵を落とした。
ジュッという音がして、フライパンは何事もなかったかのように仕事を始める。
こういうところが道具は偉い。
昨日のことを持ち越さない。
人間、というか、まあ僕のことだけど、大体前日にあったことを朝は持ち越している。
ちょっと失礼なメールとか、乱暴な車の運転をしてきた人とか。
昨日をことを持ち越しながら生きている人間としては、フライパンを尊敬する。

ともあれ出来上がった目玉焼きを見て、
「まあ、今日はこれでいいか」と思えた。
朝はいつも、完璧じゃなくていい。
ちゃんと火が通っていれば、それで合格。

2026.01.10 Sat.

湯たんぽの正しい位置

最近はあまりに夜、冷えるうえにジウが一緒に寝ようとして、
布団を奪われるので湯たんぽを使っている。
昨夜も、湯たんぽを布団に入れて寝た。
ところが足元に置いたはずなのに、起きると布団の遥か遠くにいる。
ぜんぜん関係ない場所をせっせと温めている。
何度直しても、朝には別の場所にいるのが恒例。
たぶん寝相との静かな攻防戦が、毎晩行われているのだと思う。

それでも、朝起きたときに布団がほんのり温かいと、
「ああ、ちゃんと仕事してくれたな」とは一応思う。
完璧な位置じゃなくても、役目は果たしている。
と言うのは、人生にも何か通じるものがありそうな気がするのだけど、
僕の勘違いかもしれない。

2026.01.06 Tue.

わかり合えなくても、いい日もある

人間関係で疲れる理由のひとつは、「わかってほしい」という気持ちだと思う。
わかってほしい、伝わってほしい、誤解されたくない。
こういう思いが強いときほど、空回りしたり、逆に距離ができたりする。

先日、どうしても考えが合わない知人と話すことがあった。
考えが合わないというか、話していても会話が深まっていかずにずっとふわふわ表面をただよう相手。
以前なら「どうにかして理解し合わなきゃ」と肩に力が入っていただろう。
でもその日は、なぜか自然に「まあ、今日は合わない日だな」で終わらせることができた。

そしたら驚くほど気持ちが軽くて、帰り道に「わかり合えなくても壊れない関係もあるんだな」と気づいた。
むしろ、毎回完璧に通じ合う方が不自然で、時々ズレる方が人間らしいのかもしれない。

わかり合える日もあれば、合わない日もある。
その揺れを許せる関係は、案外いいものだ。
大事なのは、そこで無理に説得しようとしないことかもしれない。
「今日は気候が違いましたね」で終わるくらいの軽さが、関係を長く続けてくれる気がする。

2026.01.03 Sat.

小鍋の音

夜、また小鍋を作った。
白菜と鶏と生姜だけの、簡素なやつ。
冬はこういう鍋を食べるのが、ここ数年の我が家の定番。

煮込み始めると、小鍋のふちから「くつ、くつ」と音がする。
この音が好きで、冬になると鍋の回数が自然に増える。

火を弱めると、湯気が静かに立ち、台所の空気がやさしくなる。

食卓に運ぶと、妻が「いい匂い」と言って席に座った。
鍋って、匂いの時点でほとんど勝っている。
そのあと味で二連勝する。

食べていると、じんわり身体が温まって、心のペースもゆっくりになる。

新しい年の始まりに必要なのは、大げさだったり派手なものじゃなくて、
鍋のくつくつという音が響くだけの、こういう静かな夜なのだと思うのです。

2026.01.01 Thu.

元旦

元旦。
朝食はいつもと変わらないパンとコーヒー。
おせちもお雑煮もないけれど、特別なことをしないという点では、
これはこれで「我が家らしい元日だな」と思う。

ジウとトトは今日も元気そうで何より。
「あけましておめでとう」と言うと、「新年? それおいしいの?」という顔をされた。
猫は年越しも新年も関係なく、ただ今日の体温を大事にしている。
その姿勢は、見習うところが多い。

午後になって、妻と初詣に出た。
すれ違う人の「おめでとうございます」の声が、なんとなく街の空気を柔らかくしている。
一年に一度だけ共有される挨拶って、悪くない。

特別な抱負はないけれど、
「無理なく、静かに、でもちゃんと前へ」
そんな感じで一年を歩けたら十分だと思う。
何か大きなことを成し遂げるより、
日々を穏やかに積み重ねる方が性に合っている。

さて、この日記をどのくらいの人が見ているのかわからないけれど、
(もしかしたら一人もいないかもしれないけれど)
何はともあれ、今年もみなさま、よろしくお願いします。

2025.12.31 Wed.

大晦日の小さな決意

大晦日。
いつもより静かで、空気がすこしシャキッとしている気がする。
朝から特別なことはしていないけれど、
なんとなく近所を朝にゆっくり歩くだけで「年越し感」がある。

夕方、コーヒーを飲みながら、「来年はどうしようかな」とぼんやり考えた。
大きな目標を立てるとすぐに疲れるタイプなので、
来年は「できそうなことだけ」持っていくことにした。

とりあえず、書くことは続けたい。
毎日じゃなくてもいいし、気が向いたらでいい。
でも、机の前に座る時間だけは、来年も大事にしたい。
まあ、ありがたいことに執筆の依頼はたくさんいただいているので、
だからこそひとつずつ丁寧に仕上げて行こうと誓った。

あ、それとここ。ホームページの日記。
今年は後半はけっこうしっかり更新できた。
中盤はまったくできなかったけれど…。
来年は、この日記もなるべく定期的に更新していきたい。
まあ、それもあまり気張らずほどほどで。
努力や義務になってしまったら、たちまちつまらなくなるしね。

夜になって、ジウがストーブの前で丸くなった。
その姿を見ていたら、「まあ、来年もなんとかなるだろう」と自然に思えた。

大晦日の決意なんて、このくらいでちょうどいい。
ゆるく、軽く、でもちょっとだけ前向きに。

そんな感じで、また来年。

2025.12.30 Tue.

気づけば、もう年末

気づけばもう年末らしい。
スーパーの入口に、やたら大きな鏡餅が置かれていて、
「あ、そんな時期でした?」と季節に声をかけたくなる。

家に帰ってから大掃除をする。
部屋のいろんなところに「今年の名残」が転がっているのに気がつく。
読みかけの本、途中まで使ったノート、封を開けていない靴下。
片づけたらスッキリしそうだけど、まあ、そこまでやるもんでもない。(いや、やれよって話だけど、まあしたくない)
来年の自分に任せることにした。

年末って、なにかを完璧にしようとすると途端に疲れる。
「まあいいか」を積み重ねたほうが、案外やさしい時間になる。

今年もいろいろあったけれど、
なんとか笑って年末を迎えているのだから、それで十分だ。
あとは風邪を引かずに家族で仲良く年を越せれば上出来。
そんな気持ちで買ったみかんが、机の上でいい匂いを放っていたのです。

2025.12.28 Sun.

心に残るものの正体

最近、心に「残るもの」ってなんだろうと考える。
昼間見たささいな風景が夜になってもふと浮かんできたり、
誰かの何気ないひとことがずっと残っていたり。
そういうのが、たまにある。

夕方の散歩で、道端で猫がのびをしていて、その動きが妙に印象に残った。
別になにがあったわけでもない。
だけど夜になっても頭の片隅にその猫の動きだけが残っていた。

こういう「よくわからないけど残るもの」って、たぶん意味をつけようとしない方がいいんだと思う。
意味づけしようとするとすぐに消えてしまうし、説明しようとすると、かえって遠ざかってしまう。

残るのは、たぶん残る準備ができていたからだ。
自分の心のどこかに、小さな空きスペースがあったから、そこにスッと入りこんできたのだと思う。

心に残るものがある日って、それだけでちょっといい日だ。
意味なんてなくていい。
そのまま残ってくれれば、なんとなく世界が少しだけ優しく見える。
世界の感触がやわらかくなる。
そんな感覚を、忘れないで生きていきたいものです。