やぎさわ便り八木沢里志 公式サイト

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2025.11.06 Thu.

冷蔵庫のドアが閉まらない夜

深夜、のどが渇いて冷蔵庫を開けたら、
なぜかドアが閉まらない。
寝ぼけているので、何度もガコガコやってしまった。
それでも全然閉まらない。
仕方なく中を丁寧に見ると、ドレッシングがやけに斜めに置かれている。

一ミリ動かしてみる。
パタン。あっけなく閉まった。

たったそれだけのことなのに、
「人生ってこういうことかも」とか思ってしまう。
あるいは、小説を書くということも。
少しの角度がずれてるだけで、うまく閉まらない。
心のドアも、似たようなものかもしれない。
丁寧に見て、ちょっとだけ直せばいいのに、それが難しい。

冷たい空気が逃げる前に、そっとドアを押さえて、
「おやすみ」とつぶやき、ベッドへ消えましたとさ。

2025.11.04 Tue.

モンステラの沈黙

書斎の窓際のモンステラが、また少し葉を広げた。
多分自分が普段、ちゃんと見ていないのだろう。
久しぶりにちゃんと見ると、とんでもない急成長をしていることがある。
まるで“今だ”と決めていたかのように。

植物には「間」がある。
何も起きていないように見える時間に、きっとなにかが育っている。
人間が焦っているときほど、彼らは静かにしている気がする。

伸びた葉を見て、僕も少し背筋を伸ばす。
急がないのに、ちゃんと進んでいる。
それって、案外すごいことだなと思う。

2025.11.02 Sun.

雨粒をなぞる午後

雨が上がった午後。
窓を開けると、物干し竿にびっしりと雨粒が並んでいた。
一粒ずつ、律儀に間隔をあけているのがなんだか可笑しくて、指でそっとなぞってみた。

雨粒は、静かに、まるで決意したみたいに地面に落ちていく。
手には、かすかな冷たさと、何かに触れたときのような感触が残る。
ただの雨粒なのに、ちゃんと「触れた」と思えるから不思議だ。

洗濯物も干していない、音楽もかけていない午後。
とても静かで、心が満たされた午後。
理由はない。理由はないけれど、満たされているのって一番幸せだ。
手のひらの温度で、この午後の美しさがちゃんとわかる気がした。

2025.11.01 Sat.

足の甲と、防衛本能

掃除機をかけていたら、家具の脚に足の小指を思いきりぶつけた。

それはもう、爪先でもなく、指の側面でもなく、小指にクリティカルヒット。
一番ぶつけたくない場所である。
痛みが数秒後にじわじわと膨らんできて、それと一緒に、イライラがふっと、湯気のように立ちのぼった。

もちろん誰も悪くない。
それでも、一瞬「ムッ」とする。
おそらく、人間の感情ってこういうときに“野生”が出るのだと思う。
かつては人類は、外敵の攻撃=即・危険、という世界で生きていた。
だから、「攻撃されたらまず怒れ!」という本能が、今もまだどこかにあって、
小さな家具の角ごときにも発動してしまう。そう、これって本能が反応してるんだよね。

そう考えたら、少し笑えてきた。

「本能さん、ここには気を抜くと命がなくなるような危険はないのだよ」
と、自分の心に言いながら、静かに掃除機を再開する。

するともう、イライラはどこかへ行っていた。

2025.10.30 Thu.

白菜と豚肉の鍋

寒くなってきたので、妻に「鍋が食べたいな」とリクエストしてみた。
普段、パスタや炒め物などはわりと自分で作るのだけど、鍋となると、なぜかまったくやる気が起きない。
野菜を刻んで、出汁をとって、淡々と煮込む。料理というより、儀式のような気がしてくる。

鍋というのは、誰かが作ってくれるもの――勝手にそんなイメージがある。
子どものころ、風邪を引いた日の夕食がたいてい鍋だったのも影響しているのかもしれない。
薬よりも、母の鍋。ぐつぐつと煮えた白菜の甘さと、薄切りの豚肉のやわらかさに、体の奥がふっとゆるんでいく。そんな「思い出の味」には、なかなか自分では近づけない。

食卓に鍋が出てくるだけで、今日はもう頑張らなくていい気がしてくる。
栄養も、ぬくもりも、湯気の向こうから静かに差し出されているようで。
「鍋、ありがたいね」と言うと、妻も「たまにはいいよね」と笑った。

2025.10.28 Tue.

朝の角を、丸くするひと

ジウと朝の散歩に出た。
うちのジウは猫なのに、犬みたいにリードをつけて歩く。正確には「つきあってくれている」感じだけど。

朝って、僕はなぜか少し気が立っていることが多い。
今日もたぶん、ちょっと尖っていた。
多分、通勤通学を急ぐ人たちや殺気だった荒っぽい車の運転、そんなものの空気を感じ取ってしまうのだろう。
昔から周囲の空気に敏感なのは、困った体質。

そこへ、近所のおばさん。トイプードルのお散歩をする顔馴染みで、ジウちゃんファンの方。
にこにこしながら、ジウを見て話しかけてきた。

「今日もジウちゃん、元気ねえ!お散歩できてえらいね。うちの子にも挨拶してくれてありがと!」

ジウは、えらくもなんともない顔で、トイプードルの鼻先に自分の鼻をつけてご挨拶。
でも、おばあさんの言葉がふわっと空気に混ざって、
さっきまで立っていた自分の「朝の角」が、少しだけ丸くなるのがわかった。

なんだろうなあ。
挨拶でも、立ち話でもなく、“ただの善意”って、すごく効く。

「ではまたね」とおばさんが言ったあと、ジウは一歩も動かずにその方向を見送っていた。
朝の角を、丸くする偉大なひとを、僕とジウはそうして見送った。

2025.10.26 Sun.

洗濯ものと風

風が強い日。
洗濯ものを干しながら、ふと、「風って見えないのに偉大だな」と思った。

シャツもタオルも、風に運ばれて、ぴんと背筋を伸ばしている。
誰にも褒められないのに、ちゃんと乾いて、また清潔な顔をして戻ってくる。

人も、きっと同じかもしれない。
見えない風に、いつも少しずつ動かされている。

誰かの言葉とか、通りすぎた季節とか。
ささいなことが、自分をまたちょっと乾かして、整えてくれる。

それを、今日の洗濯ものから学んだ。
おかげで僕も、ほんの少し、しゃんとしたのです。

2025.10.24 Fri.

風に向かう洗濯物

午後、ベランダに干したシャツが、強い風に揺れていた。
まるで何かに言い返しているような勢いで、
風に向かって、ぱたぱたと鳴っていた。

最近、理不尽なことに反論できなかった自分を思い出した。
言い返せなかった代わりに、
このシャツがちょっと強めに風と話してくれている気がした。

夕方、乾いたシャツを取り込む。
布の奥に、少しだけ勇気の匂いがした。

2025.10.23 Thu.

スーパーのキャベツ

スーパーで、キャベツが半玉78円だった。
隣に並んでいた大玉のキャベツは、ぴっちりラップに包まれていて艶もいい。
でもなぜか、切り口がちょっと乾いて色の変わった半玉の方に惹かれてしまう。

「全部じゃない方が、楽なときもありますぜ」
そんなふうに言ってくれているような気がした。

買い物かごに入れて帰ってきた半玉のキャベツ。
味噌汁に入れて、少し甘みが出て、ほっとする。

やさしさって、こういうところに潜んでるのかもしれない。
ぜんぶじゃなくて、ちょっとだけ。
誰かにとっての“ちょうどいい”って、案外こういうものだよね。

2025.10.21 Tue.

エアコンのリモコンが見つからない午後

午後になって部屋が蒸し暑くなり、エアコンをつけようとしたら、
リモコンが見つからない。
机の上にも、ソファの下にも、テレビ台の上にもない。
探すたびに、別の散らかりが目につく。

「このまま片づけを始めると、たぶん人生が変わる」と思いながら、
それでも動きたくなくて、うっすら汗を書いながら執筆する。

結局、リモコンは冷蔵庫の上で発見された。
朝の掃除のとき、なぜかそこに避難させていたらしい。
たぶん「安全な場所」というやつだ。
安全すぎて、二度と見つからないところだった。

スイッチを押すと、冷風がふっと頬を撫でる。
ふっふふ、文明の勝利。
でも、あの数分間の「探してる時間」も悪くなかった。
冷気より、ちょっと笑えた。