やぎさわ便り八木沢里志 公式サイト

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今日も朝のジウとのパトロールからスタート。家の近所を一人と1匹で練り歩く。ジウは何か怪しいものがあると、立ち止まってはクンクンと執拗に匂いを嗅ぐ。

私からすると、なんの変哲もない道路なのだけど、「む!ここはなんか怪しい匂いがするぞ!ちゃんと確認しないと!」ということらしい。まあ、君のおかげで町の平和は守られているということにしておく。ありがとう、ジウ。

今日はなんとなく嫌いな人のことをやたらと思い出してしまう1日だった。「なんであんなこと言うんだろう」とか「あの人のああいうところが嫌なんだな」とか。全く無意味な思考であるのは重々承知しているけれど、これがなかなか手強くて止められない。

でも、以前に比べて嫌いな人が周囲からだいぶ減った。数年前までは自分の周りには嫌いな人があふれていたけれど(それもどうなのかと思うけど)、最近は数えられるほどもいない。

考えてみれば、以前は「人を嫌いになってはいけない」といつも心の中で思っていた。でも、その思考こそが嫌いな人を身近に置いてしまう原因なのだと気づいたので、最近は「嫌ってもいい、人間なんだから好き嫌いはあって当然」と開き直るようになった。

すると不思議なことに、身の周りにいた嫌いな人が気がつけばずいぶんと減ったのだった。「人を嫌いになってはいけない」という本心に抵抗する気持ちが、逆に嫌いな人を引き寄せてしまっていたのだろうな。今になってやっとわかる。

なので、最近は安心して嫌うようにしている。

とはいえ、嫌いだから呪ったり不幸が訪れたりを願うわけではない。嫌いな人でも、幸せでいますようにという慈悲の気持ちをなるべく持つようにしている。まあいつもは難しいけれど。

でも、それこそが自分の心を救うことにもつながるのだと思う。嫌いなのはしょうがない。でも、そこから恨みや憎しみの感情を生み出す必要はないわけで。自分にとって嫌いな人でも、誰かにとっては大事な人で、そして誰もこの世界で幸せに生きたいと願っているわけで。

だから、こっそり幸せを願うくらいの余裕ある気持ちでいるのが大事だと思う。すると、またそれも不思議なことに、「嫌い」と思っていた心がなくなって、その人と普通に接することができるようになる。結果、嫌いな人が減るという好循環が起こる。

と言うわけで、今日も嫌いな人のことがしばらく頭から離れなかったけれど、しっかり幸せを願っておいた。僕の嫌いなあなた、どうぞ幸せに。

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