またちょっと日記を書く感覚が空いてしまった。
空いてしまったここ一週間くらい、何をしていたかと言えば、頭をカラッポにする練習をずっとしていた。いわゆる禅の修行。とはいえ、仕事や日常生活は普通に送っていて、単純に家で一人の時間にそうして練習する時間を多めに取っていたというだけ。
なぜかと言えば…とにかく思考がうるさくてたまらなかったから!
もともと左脳優位人間なのか、いつもいつも考え事ばかりしてしまって、一人でクタクタになってしまう人間なのだけど、ここ最近は特にそれが顕著だったので、
「よし、気合いを入れて思考を減らそう!」
と思ったのです。何しろ朝起きた瞬間から、自動思考が波のように押し寄せてきて1日を無意識に思考に飲まれて送ることになってしまうので、そうならないためには自分に強く念じるしかない。
なので、午前中からしっかりと集中できる時間をとって、自分の思考と向き合い続ける一週間を送ってみたのです。ああ、疲れた。でも得るものは大きくて、だいぶ頭の中の思考をカラッポにできるようになってきた。
ということを言うと、「そんなに頭の中ってうるさいものですかね?」と不思議がる人がいるけれど、おそらくそういう人は、自分の自動思考にも気づけていないのだと思う。ポジティブな人はそれでもいいのかもしれない。でも普段からネガティブな思考が浮かびやすい人は、思考まみれだと人生そのものが不幸になってしまう恐れがある。そう、僕のように根が心配性で、それなのに思考をやめられない人間は特に。
とにかく、そのように努力をしてみた結果、おかげで思考がだいぶ減った、というか、思考を気にしないコツを掴むことができた気がする。
やったことは言葉にするとすごく簡単。意識を思考(頭)でなく、お腹や体の方に向ける練習。ヨガでもよく紹介される、ボディー・スキャンというやつ。でもこれ、左脳重視の人間には本当に難しい。何しろ自分の体の感覚なんて放置して、いつも考え事に浸っているのだから。
というわけで、その苦手なことをとにかく頑張って続けてみた。今までも取り組んでは挫折していたけれど、今回はもっと本気で。家でじっと椅子に座って体に意識を巡らしたり、長い散歩に出て歩きながら足の裏や体の動きに意識を向けてみたり。
こんなことやっても無駄じゃない?と思うくらい、最初は全然ダメだったけれど、ここ数日あれ?という感じに思考が静まる瞬間が増えてきた。似ている感覚としては、自転車に乗る練習をしていて、今まで全然乗れなかったのに急に乗れるようになる、あの瞬間。あるいは、楽器を練習していて、全然弾けなかったのに、何にも考えなくてもいつの間にか指が動くようになっていた瞬間。そんな感じで急にストンとコツがつかめた。
そうして振り返ってみると、今まで必死に無思考状態になろうと思考を消すことばかり考えていたけれど、その考え方がそもそも間違っていたんだなと。思考っていうのは、人間が生きていて脳が正常に機能している限り消すことはできないものなんだと気付いたというか。
思考は消せない。でも、それでじゃあ思考まみれで生きる必要はない。なぜなら思考をミュートすることは案外意識すればできる。つまり、ネガティブなことだったりを頭がどれだけ考えていようと、その音量を絞ってしまえばいいんだな、と。
そこで大事なのが、頭に向いている意識を体に向けること。頭でどれだけおしゃべりが続いていても、体の方に意識を向ける。苦手でも、こんちくしょーと思って何度でもやる。
そうしたら脳がすごく静かな時間が増えてきた。考えているけれど、ミュートで最小限に音量を絞っているので、自分に影響が出ないという感じ。代わりに意識は体へ。すると、呼吸をしたり歩いたり走ったり食べものを消化したり鼓動をしたりと、体が今まで自然にしてくれていたこと、自分が意識もしなかったことに、なんだか感謝したい気持ちになってきた。いつも思考でいっぱいで気にもしていなかった間も、ずっと体はがんばって自分を生かしてくれていたんだな、と。
うーん、あんまりうまく言えないのだけれど、とにかくそんな感じ。この文章を書いている間も、けっこう頭はカラッポ。それってすごく新鮮な体験。
というわけで、今後も思考を小さくする修行に励もうと思うこの頃なのでした。